ポルテーニョの特徴
意外と知られていないけど、ブエノスアイレスは、アルゼンチン共和国の首都だがブエノスアイレス州の首都ではない。
ブエノスアイレス市は自治市で独立しているのである。
ブエノスアイレス州にはブエノスアイレス市は含まれておらず、ブエノスアイレス州の首都はラ・プラタ市だったりする。
それによって生じる政治的問題も多いのが悩みだが、今回はそれは置いておいて、自治市ブエノスアイレスで生まれ育ったポルテーニョと、日本人の私の友達に関する感覚の違いとそれにより気がついた話。
まずブエノスアイレスで生まれ育った人達は、「江戸っ子」のような意味で「ポルテーニャ(女性)」「ポルテーニョ(男性)」という。
このポルテーニョス(ブエノスアイレスっ子達)は、性格的に気取った感じがする人が多いと感じるのは、私だけではないはず。
お隣ウルグアイ在住の知人はポルテーニョスを「イケすかない」とも言っていた。
歴史から観察すると、他の南米諸国に比べて圧倒的に白人の多いアルゼンチン。19世紀に先住民のインディオ達を排斥して、ヨーロッパからの移民を積極的に受け入れた。特にブエノスアイレスから先住民は排斥され、ほぼ白人社会を作った。そのため、ブエノスアイレスには、先住民の血を受け継ぐモローチョ(浅黒い皮膚の人)の人はほとんどいない。
そして、ブエノスアイレスに残る美しい石造りの建物が「南米のパリ」という雰囲気を醸し出し、移民系アルゼンチン人は「僕たちはヨーロッパ文化の一員だよ。ふふん」というプライドも見え隠れし、他の南米諸国とは違うという気持ちがモロ見えしてしまっている。
そういう意味でもブエノスアイレスのポルテーニョは「鼻持ちならない超気取った感じ。」というレッテルが近隣諸国からも貼られているのではないかと推測する。
しかしそれはポルテーニョに限っていて、田舎から出てきたアルゼンチン人の多くは、人柄が穏やかで優しかったりするので、やはり都会で育つとストレスフルなのかも、と私の勝手な憶測は絶えない。
ちなみに、私は東京から新幹線で1時間の静岡県静岡市出身の田舎者である。
実はこんな風にさんざんに言いながら、私の旦那さんは生粋のポルテーニョだったりする。初対面で気取っている感じは受けなかったが、他人に会う時の匂い対策は完璧で、日々のパスタにニンニクが入ることを彼は決して許さない。
ブエノスで知ったアミーゴ論
友達をスペイン語で「アミーゴ」と訳す。そもそもここから違うような気もするが一般的解釈としての理解である。
彼と付き合いだした頃、ミロンガ(タンゴのダンス会場)でよく踊る友達を彼に紹介していた。
当時、このブエノスアイレスの中で私には「タンゴの世界」しか居場所はなくて、そこで知り合って会う度に挨拶をする人、話をしたり踊ったりする人が唯一の私の友達だった。
10人にも満たない数だったけれど、私が「友達だ。」と言って何人かを紹介するので、彼は私に尋ねた。
「君には、何人友達がいるの?」
その質問に少し見栄を貼りたい気持ちと、数なんて数えていないけど友達は多めがいいかな?という安易な考えから
「え?たくさんいるよ。」
と回答すると、彼は穏やかな口調でしかし真面目にこう言った。
「君が困った時に、その友達は何があっても助けてくれる?手を差し伸べてくれるの?」
その質問に、私はまったく自信がなかった。
ほぼ毎日のように顔を合わせ、互いに挨拶のBesoを頬にし、拙い私のスペイン語に耳を傾け笑顔で話し、同じタンゴが好きでミロンガに集い、お酒を飲み交わし、夜を明かしながら一緒に踊って、私の踊りを歯の浮くような言葉で賛美してくれるあの人達が、私が本当に困った時に助けてくれる可能性は残念ながら少ない。
が、しかし。
日本ではそういう当たり障りのない関係も含めて、友達という大きな括りにするのだと、ずっと思って生活してきた。
「何かあった時に助けてくれる人は、日本では親友っていうんだよ。」
すると彼は、
「親友っていうのは、もっと大事な友達だよ。家族と同じくらい大事な友達だよ。」
何かあったら助ける以上のことしてくれる友達がいるの?!
一体、何するの??
と私は驚いてしまった。
続けて彼は、
「ミロンガで踊ったり、挨拶をするくらいの間柄の人は“知ってる人“っていうんだ。そこは大きく違う。例え何年も一緒のクラスを受けている仲間であっても友達(何かあった時助けてくれるほどの仲)でなければ、知ってる人だよ。」
異邦人の寂しさ
この話を聞いてから、ずっとブエノスで感じていた疎外感の正体がわかったような気がした。友達だと思いたかったのは私だけで、みんなはそんな風に思ってなどいなかったのか。
週に何度も通うクラスで顔を合わせて喋る仲間も、毎夜ミロンガで踊ってくれるミロンゲーロ達も、よくコンペで顔を合わせて情報を共有するあの人達もみんな「知ってる人」だったんだ。
まだブエノスに来て数年の私を、友達なんて認めてくれる人なんていないんだ。
納得と共にあからさまにどんよりと寂しさを感じていると、彼は
「友達になるのは、年月じゃないよ。例えば、ベロニカやダニエルは君が何かあったら助けてくれるでしょ?」
ベロニカは、シェアメイトとしてスキマ風の入る古い家で共に暮らし、スペイン語が話せない私のために絵を描きながら会話して、トタン屋根の風呂場で真冬の水シャワーを一緒に凍えながら耐え抜き、大家の嫌がらせから夜逃げを共にした、まるで同志のような姉のような存在のサンファニーナ(サンファン出身の女の子)。
そしてダニエルは、「Hola(こんにちは)」「chau(じゃあね)」しか話せるスペイン語がなかった頃から、同じクラスを受けて毎日のように一緒に練習し、ミロンガへ行き、家を追い出されて不安で泣いていた時に、ずっと傍にいてくれた。
そして何より、彼と私の共通の友人でもあるサラテ市民(タンゴの盛んなサラテ市)。
「2人だけかー。」
と私が残念そうにいうと
「君にはそんなにたくさんの手はないでしょ?手は二つしかないんだから2人で十分だよ。」
と彼は冷静にいうのだ。
でも、でも、でも
日本では「友達100人」っていうんだよおおお。
私は納得しながらも友達文化の違いを感じていた。
つまり「アミーゴ」は、量より質。そして質が濃厚。
彼は続けて私に言った。
「それから友達というのは、よくないことは、よくないって言ってあげれる人でもあるよ。どんな友達を持っているか。で、他人もその人の人となりもわかるし、本人の人生も大きく変わるよ。」
私はその昔「その男は良くないと思うよ。」と相手を想って発言したつもりが、それによって友人に酷く嫌われた過去がある。
「相手を想って伝えても理解されないこともあるし、逆に、私に対して感じの悪さを残すだけの場合もあるから、大人になったら余計なことは言わない選択もあるんじゃない?」
なんてすました事を言ったら、
「相手を想って言って、それで嫌われたのならそれでいいじゃない。」
という回答だった。
ぐうの音も出ない。
それは、そうだよね。私もそれが良い友達だと思うよ。
そういえば、ベロニカが前の彼の話をした時に「そんな男はダメだ!」とはっきり言ったが、私は友達をやめたりする気には、微塵もならなかった。
彼女が私を想って言ってくれていることを知っていたから。
幾つになってもそう想いあえる友達がいるのは人生を豊かにするよね。と、改めて感じた。
そんな彼を含め、アルゼンチン人はアルゼンチン人を信用していないことが多い。
日本は「性善説」で、人を疑うことを良くないこととするが、アルゼンチンではすべては「性悪説」で物事が運ぶ。基本的に他人は何をするかわからない。
そういう意味でも、気のおけない友達「アミーゴ」は非常に重要な存在なんだと思う。
「アミーゴ」に気をつけろ。
そんなだから、ブエノスアイレスで気をつけたいのは、すぐに「君は僕のアミーゴだ」「僕はアミーゴがたくさんいるよ。」とかいう人。
簡単かつ、たくさんアミーゴがいるのは、簡単に裏切る可能性が高いということ。
本当に安っぽい友情そのものだ。
外国人が「アミーゴ!」と言うと喜ぶのを知っていている人もいる。
もちろん、冗談風にいったりすることもあるけれど、本当のアミーゴになるのはそんな簡単ではない。関係性が薄い相手の言葉は間に受けないことが大事。
そして、日本人女性が気をつけたいのが恋人前の「アミーゴ」
ノビオ(恋人)になる前の「アミーゴ」期間は、お互いのお試し期間。
どちらにも複数人の友達以上恋人未満がいても現段階では、ルール的に問題ないのだ。一途な日本人女性は、遊びじゃないなら本気になるタイミングを十分注意したい。
このシステムに、私は本当に心を病んだが、タダでは転ばない性格。
うまく交わす方法を私は考えたのだ。けれど、それはまた別のお話で!