はじめまして。
岡山県出身、ブエノスアイレス在住の西原なつきと申します。バンドネオンを演奏しています。あかねさんからお誘いいただいて、微力でも、私から見たブエノスアイレスのタンゴ文化をお伝えできたらと思い、このコミュニティに参加させて頂くことになりました。ひとつめの記事ということで、まずは自己紹介から・・♪
私はバンドネオンを勉強するために、2014年に初めてブエノスアイレスを訪れました。元々2か月の旅行のつもりだったのですが、想像していたより”住めそう!”と思えて、2か月では足りない・・・どうしてもまだここに残りたい・・・(ちょうどバンドネオンの神様、アニバル・トロイロの生誕100周年のイベントが目白押しになる直前、という時期であったのも大きいです。)と、思い切って帰りの航空券をキャンセルしたところから私のブエノスアイレス生活は始まります。
スペイン語ほぼゼロで渡ったアルゼンチン。英語も喋れないので、レッスンの約束を取り付けるのも、伝えたいことを全てノートにメモして電話を掛けたり、コンサート会場に直接行って突撃して筆談したり・・・あのときの勇気と根拠のない自信は一体どこから来ていたのだろう?と今となっては思います。笑 でも、とにかくタンゴの生まれた文化や空気、言語の中に身を置きたかった。それがタンゴを勉強したり、理解を深めたりする上で私にとって大事なことのひとつではないかと思っていました。(それは今も変わりません。)
滞在初期は、タンゴ学校(オルケスタエスクエラ)のオーディションを受けて入学することが第一目的でした。「大丈夫、受かる受かる~」と周りや先生からは言われていて、自分でも気楽に受かるつもりでいたのですが、年々レベルは上がっていて2年に一回のオーディション、2015年のオーディションで不合格。。さて、困った。
でも、私の中に日本に帰るという選択肢はありませんでした。なんとかこの地に留まって、語学も含めこの国の習慣ややり方の中で勉強を続けて、色んな人と演奏して肌で学んで、2年後のオーディションで、頭一つぶん抜きん出て、絶対受かってやる~~~!!!!という意気込みのもと、レッスンに通う以外は基本ひきこもって、練習、練習、練習の日々。ここまでの数々のLocura(=頭おかしいだろ!)な決断を理解(?)してくれた両親にも、感謝しかありません。。
その後無事に合格し、(バンドネオンオーディション一位通過で合格でした。)2年間みっちりオルケスタの中で勉強。日本人のタンゴミュージシャンの先輩方も沢山卒業されている、このオルケスタエスクエラについては後日また詳しく書きたいトピックのひとつなのですが、プグリエーセ楽団やセステート・タンゴでバンドネオン奏者・アレンジャーをつとめたマエストロ・ビクトル・ラバジェンのもと、先生たちの真隣で弾けたり、(まさに学びたかった、肌で感じる、という事)とても良い経験をさせてもらいました。
またこの若手登竜門的なオルケスタに在籍したということで、たくさんの扉が開き、お仕事にも少しずつ呼んでもらえるようになっていきました。
そして、卒業してもう1年半が経ちます。ありがたいことに信頼してもらえる場所や仲間が増え、なんとかこちらでバンドネオンを弾いて生活することができています。(と言ってもあくまでその日暮らしのような生活ですが、でもこちらでフリーランスとして納税も出来るようにもなりました。)
現在の主な仕事はタンゲリア(タンゴディナーショー)での演奏。エスキーナ・オメロマンシ、カフェ・トルトーニ、エル・ケランディなどへ、バンドネオンソリスタとして演奏に行っています。また、私が参加しているプロジェクトでのコンサート、サロン・カニングやラ・ビルータなどミロンガでのライブ演奏、テレビや生放送ラジオへの出演など、積極的に活動しています。
日本へも定期的に帰国して、全国津々浦々、ツアーを組んで演奏して回っています。活動については、私のホームページやフェイスブックにも記事を載せています。
またオンラインレッスンなどもしていますのでご興味のある方はそちらもどうぞご覧ください。
→ https://mibandoneon.amebaownd.com/
【Mi bandoneon y yo】
ということで、ざっくりと自分のこれまでのブエノスアイレスでの活動のことを書いてみました。文章を書くことは苦手ではあるのですが、のんびりと記事を書いていけたらなと思っています。興味のあることや質問など、お気軽にコメントくださいね。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします♪