皆さま、こんにちは。
このたび、このAroma de Buenos Aires で記事を書かせていただくことになりました長谷川です。
私は現在、ブエノス・アイレスに拠点を置き、アルゼンチンタンゴダンサーとして活動しています。このAroma de Buenos Airesでは、私がブエノスで体験したことや感じたことを書いてゆきたいと思います。今回は、自己紹介として「何故タンゴを踊ることになったのか」についてをお話しいたします。
どうぞお付き合いくださいませ。
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………..
タンゴを始めたきっかけはあの曲だった
私がタンゴを踊り始めたのは2009年。きっかけはフィギュアスケートのエキシビションに使われていた楽曲”Por una Cabeza “。
毎年、ウィンターシーズンには家族と一緒にテレビでフィギュアスケートを見るのが我が家の日課で、それはそんなある日の夜に起こった。
突然、画面から流れ出す美しいメロディ。
まだまだガキンチョのくせに初老好み、という私の心を一瞬で鷲掴みにした俳優アル・パチーノの渋さと、切なくて美しい旋律。そして、イケメン”アル様”演じる盲目の退役軍人と美しい女性のダンス…。
幼少期、家族と一緒に観た映画のワンシーンで使われていたその曲は、一瞬にして私を当時の世界へ呼び戻した。
このシーンはホテルのラウンジだったか、華やかな場所で踊るとても美しいものだ。しかし私は、Por una Cabezaのメロディと彼の抱える孤独•絶望感、このコントラストに胸が一杯になった。
この映画、ラストシーンがもちろん一番盛り上がって素晴らしいのだが、このダンスシーンが断然、私のお気に入り。そして、映画館の帰り道に皆で歩きながら、このシーンがお気に入りだと母に話す父。普段はちょっと厳しい父と同じものが好きだと思った自分が嬉しくて、ますますこのシーンが好きになった。
-タンゴに間違いはないんだよ、人生と違ってね-
さて、話はフィギュアスケート放送後に戻る。
どうやらタンゴと呼ぶらしいその美しい曲。YouTubeで検索し、懐かしいイケメン、アル・パチーノ様の動画を堪能する。アラサーとなったこの身に、彼の渋さはより眩しく映る。涎を流して画面に食いつく私。と、その時、突然”おすすめ””として大量のダンスの動画が画面を覆いつし、アル様は遥か彼方へと消えてしまった。代わりに鎮座するダンス動画たち。あまりの量に圧倒され、動画の一つを観てみると、あら。これがなかなか面白い。
興味は次第にイケメン・アル様から踊りへと移っていった。
(こんな風に踊ってみたい)
いくつか動画を見るうちに、何故かそう思った。
(踊れるかな?)
なんとなく地元のタンゴ教室を検索してみると、カルチャーセンターで月二回開催されているタンゴクラスが目に止まった。しかも明日が開講日。そして私の予定は何もなかった。
(予定もないし、とりあえずタンゴというものが一体どんなものなのか見るだけ見てみよう…)
と軽い気持ちで出かけた。
全てにおいて、現実世界に引き戻す時間を全く与えない絶妙なタイミングだった。クラスの先生が、見てるだけではつまらないでしょう、とそのままクラスを受けさせてくれたのもラッキーの一つで、まるで水が流れるかの如くスイスイと事は運び、テレビでPor una Cabeza を聞いてから約半日後にはカミナンドを踏む私がそこにいた。
これが、私のタンゴ人生の第一歩。
6年後の2015年、勤めていた会社を退職してアルゼンチンへ留学、ダンサーになってしまうことなど思いもしない、お気軽な一歩だった。
どこからかやってくる囁き声に耳を澄ますと
いつも私が感じていることは、
(この道が正しいよ)
と神様が言っている時には、偶然やラッキーも重なり、大した難もなくスイッスイッと事が運ぶということです。いや、難があったとしても何故だか不思議と解決してしまう。
正にこの時もそんな感じでした。
そして、我が人生を振り返ってみると、
”踊りは楽しいよ、踊れるよ、踊ってみたら?”
という、お知らせのようなものが度々あったように思います。少しスピリチュアル的な話となってしまいますから、いやいや長谷川のおバカな勘違いだよ、と言われたらまさにその通りです。しかし、踊りと全く無縁だった平凡なサラリーマンが趣味を飛び越えてダンサーになるには、そんなバカな勘違いが多少なりとも影響した、と思うくらいが丁度よいかもしれません。
では、最後にどんなお知らせ(勘違い)だったのかちょっとだけ。ぜひ笑わずに読んでいただけたら嬉しいです。
……….
幼少期のアル・パチーノから時は経ち、剣道部で竹刀を振り回すようになった少女は、やっぱり踊りとは無縁の学生時代を過ごした。
そんなある日、TVで「ウリナリ芸能人社交ダンス部」を観た途端にビビッと痺れた。何故かこの番組を観ると楽しくてワクワクする。毎週この番組を見るのが楽しみとなり、番組終了後のお風呂上りにバスタオル一枚でこっそりダンスの真似をすることが私の密かなルーティンとなった。
(うむ、アタシったらなかなか上手に踊れるじゃないか。)
家族に知られないようこっそりと鏡の前でポーズを決めては自画自賛、訳の分からぬ自信で満ち溢れていた。
今思い出すと恥ずかしい限り。
その後、サラリーマンとなり一人暮らしを始めた20代のある日のこと。
たまたま立ち寄った郵便局、そこに置いてあったペアダンスの舞台公演の案内が目に止まる。
何故かは全く覚えていない。けれど、当時は”会社とアパートを行き来するだけの毎日”に飽き飽きしていて、変わり映えのしない日常に何か彩りが欲しかったのだと思う、勢いで申し込んだ。
そしてそれは本当に素晴らしい舞台だった。色褪せた私の心に、眩い光と彩が降り注いだ。
(踊りっていいなあ。あんな風に踊れたら、きっと素敵な気持ちになるのだろうな。)
観終わった後もずっとワクワクが止まらなかった私。やはりこの時も、アパート自室の姿見の前で真似しては
(なかなかイケてるな)
そう思っていた。
最後のお知らせは、姉が持っていた本の中にあった。これは後に気がつくことになるメッセージだったのだが、これがまさにド直球なものだった。
その本は、10センチはあるかという分厚い誕生日占いの本で、誕生日別にどんな人間なのかをああだこだと書いているものだった。私がタンゴを踊り始めるよりもずっと前から姉の部屋にあり、もちろん何度も読んだことがあった。
本を開いてみると、各日付ごとに見開きで書かれていて、その最後の項目に「瞑想の言葉」として、各誕生日の主へ向けた短いメッセージが記されている。
一月一日生まれの私への言葉は、
“タンゴは2人で踊るもの。息のあったダンスは最高”
当時は意味不明なものでしかなかったから、そんなことが書かれていることなどすぐに忘れてしまった。
その後、タンゴに没頭する日々を送っていた私が偶然にもこの本を再び手に取り、メッセージを目にした時の驚きと言ったら!
いやはや、まさかこんなところにまで”踊ったら?”のお知らせが潜んでいたとは。
…………
(踊りって楽しそうだな、素敵だな。)
全く自覚はなかったけれど、いつもふんわりと胸に浮かんでいた想い。しかし、現実世界では日々こなすべき事に忙しく、このふんわりとした想いは居場所を奪われて、消え去っていました。
そして、そんな状況に神様もついに痺れを切らし、幼少期のとびきりな思い出”Por una Cabeza”を投入。
「こんな風に踊ってみたいー!」
あの時、初めて傍観者から当事者になってみたいと思いました。
そして”やってみたい”というこの小さな囁き声を無視せずに、拾い上げました。
これが最終的に私の人生を180度変えることになったのです。
心の底からの声はいつも一瞬でとても小さな囁き。どこからともなくポッと浮かぶ、思いつきのようなもの。
忙しい日々の中、このポッと浮かぶ言葉たちに耳を澄ませてみたら、もっともっと素敵な世界が広がってゆくのかもしれません。
人生とは、本当にわからないものです。
神様、あの時はお疲れ様でした。ありがとう。
***
踊り始めて半年。
まだまだビギナーだった私の心に再びポッ浮かんだ声。
(私はダンサーになれる、なる)
本人もギョっとするような根拠のない声。心の奥底からの小さな囁き。
この後これを拾いあげ、信じ、ダンサーへの道を歩いて行くことになりますが、このお話しは、またいつか。
では、また次回お会いしましょう。
ーブエノス・アイレスより愛を込めてー